性能だけでなく、驚きのネーミングでも話題となった「新しいiPad」の発売、その興奮も冷めやらぬうちに、ここ数日はApple社が保有する途方もない額のキャッシュ(1000億ドル)の今後の行方に関してのうわさで持ちきり。Appleは旬の話題に事欠きませんね。
さて、物議を醸した”新しいiPad”というネーミングですが、個人的には原点回帰というイメージがあります。その印象が正しければという前提ですが、シンプルに”iPad”とするのは良いことだと思っています。
ただそこに至る過程が残念すぎました。
そもそもの原因はiPad2にあると思います。Apple製品としては異例のネーミングをあえて採用し、連番をイメージ付けてしまいました。そのあとで後ろの数字をとってしまったわけですから混乱は必死です。
例えばiPad2と新しいiPadでは2がより新しいと思ってしまう人がいるはずです。また、新しいiPadの次に出るiPadは何と呼ぶのか? 直感的なApple製品なのに、ネーミングの違和感が水を差すようで残念です。
iPad2も本体の刻印はただの”iPad”でした。後ろの数字は単に販売戦略の一環だったのでしょうか?
それなら、2の成功を経て名実共にAppleの主要製品となり、はれてiMacなどと同列のただの”iPad”に昇格したことを示しているのかもしれません。
いずれにしてもそれは分かりにくく、しかもいったん自分たちでイメージ付けしたあとで消費者を振り回した感はぬぐえません。
それでも、早いうちに原点回帰したととらえるのであれば、長い目で見れば良いことだと思えます。
ネーミングの件と直接の関係はありませんが、インダストリアル・デザインを担当する上級副社長のジョナサン・アイヴ氏はこう語っています。
「iPadを発売するまでに行われるいくつかの問題解決は、実にすごいもので、それを誰かに伝えたくなるという危険があるほどです。問題を解決するために行われた離れ業が、舞台裏でのみ行われ、誰からも気づかれないという状況は皮肉なことですが、それがわれわれの仕事です。」
Apple製品の魅力、特にジョブズ氏のプレゼンを見て感動する理由はここに集約されています。
数ヶ月前、Apple社の共同創業者であるウォズニアック氏が、「ジョブズのいないAppleは、テクノロジ業界の物の言い方を乗り越えて消費者のニーズに直接応える能力を簡単に失ってしまうおそれがある」と述べました。
きっかけは、iPhone4Sのプレゼンで、デュアルコアプロセッサについて2度言及が行われたこと。
とはいっても技術的な要素を延々と語る他社のプレゼンのようでは決してなく、非常にシンプルにまとめられていました。しかしウォズニアック氏は「スティーブなら、われわれにデュアルコアプロセッサのことを考えさせたいとは思わない。われわれが知る必要のあることは、期待がどんなふうにかなえられるのか、自分たちがどんなふうにインターネットにつながるのか、ということだけだ」と語っています。
つまり、技術者が重要だと考えることと生身の人間にとって大事なことは違うことを意識し、それを製品づくりのすべてに反映させることこそがAppleの神髄であることを忘れないでほしいとの願いを述べているわけです。
それゆえにネーミングから漂う”迷走感”は大きな不安要素でした。しかし今回、結果として収まるべきところに収まった感があります。過程はいただけませんが、Appleの本質が再認識されたのであれば価値はあります。
魔法を支える陰の技術、驚きと高揚を与えながら混乱させない、バランスは大変難しいのでしょうが、Appleらしい製品が今後も誕生していくことを願っています。
(以上は推測に基づく個人的見解です。Appleの真意は分かりませんのであしからず。)